Greg & Junko Jorde Farms
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『大平 原からの便り』 
第十一回:牛の性格

 

牛を飼い始めるまで、 私は牛というものはぼんやりしていてあまり反応のない動物だと思っていましたが、実際に世話を始めるとそれまでの考えが大幅に間違っていたことに気付きま した。

まず第一に習性を好み、警戒心と観察力が鋭いこと。いつも同じ時間に餌をもらえるのを期待していて、その頃に なるとみんな餌場の近くに勢揃いして待っていますが、違う服を着て行ったりするとそれが私だというのが分かるまで耳をぴんと立て、すぐにでも逃げられるよ うな体勢でこちらを見ています。
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牛たちがエサを食べているところ。
遠くの方に寝そべっているのが「Psycho-サイコ」です。





広い放牧地から水飲み 場まで来るときも縦一列の行列になって幅50センチぐらいの歩道を自然に作り、そこ以外は歩きません。面白いのは、冬など雪の深い中を歩いてくる際、初め に水飲み場に来た牛たちが飲み終えて向きを変え戻り始めると、行列の最後の方の牛たちは前に進めなくなるので仕方なく「あれ、まあいいや」というように飲 まずに帰っていくのです。牛たちの群れにもリーダー格と追従型のものがあるため、飲めずに終わるのはいつもボーっとしている同じ牛たちになってしまいま す。それらはまた別のときに改めて飲みに来なくてはなりません。また、自分たちの通路に見慣れないものが落ちていたりすると(例えばビニールの切れ端や紐 など)かならず立ち止まり、しばらく匂いを嗅いだりして大丈夫だということを確認してから通り過ぎます。

 

第二に、集団行動を大事にすること。放牧地は広いので散らばって草を食べればいいと思うのですが、一頭以外は いつも近くに固まっています。このため私達の雄牛(種牛)はとても楽をしています。普通だったらどの牝牛が発情期にあたるか放牧地を歩き回って捜さなけれ ばいけないのですが、私達の雄牛は歩き回って体力を消耗させる必要がありません。ですからいつもまるまる太っています。一頭以外と書いた理由は、私達の所 には一頭変わった牛がいるからです。「サイコ」という名のその牛は、私達が最初に飼い始めた牛たちの一頭なので四年近くもここにいるにもかかわらず、近付 こうとすると必ず逃げ、ほかの牛たちが餌場で食べている時は自分だけ遠くの方で寝ていて、みんながいなくなった頃に残った屑のようなものを食べているので す。いつも残飯を食べているのでかわいそうに思い、干し草を餌場に持っていった時その牛のいる所へ少し持っていってやったら、すっかり味を占めてそれから は餌場へ行こうともせず、いつも隅の方で私達が干し草を持って来るのを待っています。「こんなに特別扱いしてやっているんだから仲良くさせてくれたってい いじゃん」と頭を撫でようとすると、体をくねらせて嫌がります。この牛はとても小さいので市場に持っていってもだれも欲しがらないのは目に見えているた め、きっと私達の所で一生を終えるのだろうと思いますが、いつかなついて欲しいと思います。この「サイコ」にブラシをかける事が私の目標です。でも今でも 自分だけ特別に餌をもらえることが分かっているため、名前を呼べば必ず私のいるほうに歩いてきますから、ブラシをかけてやれるのもそう遠くはないと思いま す。

第三に頭が良く、フェ ンスの向こうの草を食べるためならどんなことでもすること。あるときは前足の膝を折り曲げ、フェンスの下から頭を出し草を食べ、またあるときはフェンスの 近くに横向きに寝そべり、首を後方に投げ出すような姿勢で舌を伸ばしては草を食べているのを見て、良くもまあ考えるなあと感心しました。


このようにとても親し く思っているので、市場に連れていくために別れるのはとても悲しいものです。特に最初から飼っていた四頭のスティアー(
Steers:肉牛として育てるた め去勢した雄牛)を送り出したときにはしばらく泣いていました。だから市場から帰ってきた主人のグレッグの話を聞いたときにはよくやったとほのぼのとした 気持ちになりました。その話というのは、私達の牛の番になったとき、普通は一頭ずつセリが行われるのですが、ドアが開いた瞬間四頭みんながすごい勢いで 走ってきて、ぐるっと一周回ってまたドアの後ろに消えてしまったというのです。裏のほうで選り分けようとどたばたしている気配があり、かなりの時間がたっ た後またドアが開きましたが、今度は二頭一緒に出てきてまた一周したあと裏へ入ってしまい、再びすったもんだしたあげくやっと一頭ずつ出てきたというので す。生まれてから一度も離れ離れになったことのない私達の牛たちにとっては一緒にいようと必死の気持ちだったのかもしれません。


気持ちを込めて世話をしているため、この間一頭お肉屋さんへ持っていったとき、牛を見たとたんその人が「長い こと肉屋をやっているけど、こういういい牛に出会うのは久しぶりだ。この牛の肉はいいよ」といってくれたのを聞きとても嬉しくなりました。その肉を半頭分 買うことになった人にも(うちの母は「牛半ぺたってカナダの人はどれだけ食べるの?」と唖然としていましたが)お肉屋さんが太鼓判を押してくれていたとい うのを聞き、私達がやっていることが認められたように思い嬉しくなりました。



      
第十回:五匹の子ブタ                   最終回:サスカチュワンの現状




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