前回の手紙で
主
人のグレッグと私がアボッツフォードからサスカチュワンへ移ってきたいきさつを書きましたが、私達が移ったときにはもう村中の人が私達のこと
を知ってい
て、次の日からいろんな人が訪ねてきました。 |
キャ
ビンの中でパイオニア生活をしていたころの
グ レッグと私 |
私達が住むこと になった家 (と呼べるかどうか)は、築60年以上の5メートルx6メートルのログキャビンならぬ角材小屋で(「北の国から」と「大草原の小さな家」を混ぜた暮らしを 想像してくれればかなり近いものがあると思います)、電気は通っているものの水道はなく、家から70メートルほど離れた井戸までバケツで水をくみにいかな くてはいけなかったのです。もちろんトイレは外に行かなければならず、お風呂はお湯をストーブの上で沸かし、大きなポリバケツの中に立ってシャワー(とい うか湯浴びというか)という状態でした。沸かすお湯は二人でバケツ一杯分なのでお湯を粗末にできず(たくさん使えばまた井戸まで汲みにいかなくてはいけな いから)お風呂に入ると余計体が寒くなりました。電気は裸電球が一階とベッドのある屋根裏とに一つずつで、暖房は小さな薪ストーブ一つだけなので、頻繁に 木を入れていないとすぐ消えて寒くなってしまうのです。近所の人が訪ねてきてもジャケットはもちろん、手袋さえ取らないことがよくありました。そのうちの 一人、70歳くらいのおじいさんはよく来ては、「やあー、わしらも始めた頃はちょうどこんなふうだったんだよー」といつも言ったのですが、それって50年 以上も前の話じゃないの、みんなそういうふうな生活してたんでしょ、今みたいに隣の家にはディッシュウォッシャーがあるというわけじゃないんだからあんま り説得力ないなあ、と内心私は思ったのでした。この小屋は基礎の上に立っているわけではないので、床からスースーと風が入ってきて、それも私がうかつにも 掃除機などかけたものだから、それまで風を封じる役をしていた板の間のごみを吸い取ってしまい、その後余計に床からの風がひどくなってしまいました。冬な どは、床に落ちた水がすぐ凍ってしまったこともありました。 忘れもしない
96年の11月
のある土曜日、朝6時半に目が覚めて、グレッグに「寒いね」といったら、「うん」と返事はしたものの、二人とも起きたくなくそのまま布団の奥深くもぐって
いたのですが、しばらくしてあまりに寒いので、「何か前よりもっと寒いね」と言ったら「うん、そう思う」と言うだけ言って起きる気配を全く見せないので、
耐えられなくなって下へ降りていったら、温度計がマイナス11度をさしていました(因みに外はマイナス25度でした)。冷蔵庫の中の野菜、棚の中の缶コー
ラやお酢をはじめ、家の中のもの全てが凍ってしまい驚きました。(この話を近所の人達にしたら、「みんなで大丈夫かねえと心配していたんだよ」と言われま
した) |
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