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『大 平 原からの便り』 
第一回:サスカチュワンへ


早いもので サスカチュワンに来てから 四度目の冬を迎えました。この冬はクリスマスの週から急に冷え込み。今は夜はマイナス30度前後、昼間はマイナス25度前後という日々が続いています。信 じてもらえないかもしれませんが、それでも晴れていて風さえなければ結構過ごしやすいのです。

サスカチュワン州に馴染みのない方も多いと思い ますが
(ほとんどのガイドブックにもサスカチュワンは省略してあるか、あっても2~3頁のみ)、アルバータ州の東側に位置する平原州で、日本の二倍ほどの 面積の土地に、100万人弱の人が住んでいます(そして人口は年々減っています)。主な産業は農業で、見渡す限りの畑に夏になると大麦、小麦、カノーラ (菜種)等が植えられています。冬が長くて厳しいのが特徴で(私の家のガレージにおいてある冷凍庫は、11月から4月まで電源を抜いてあるから、そういう 面では電気代が節約できます)この寒さに嫌気がさした人達はどんどんBC州に移ってしまい、私たちがBC州からきたというのを聞くと、なんでまた?と
みん なが不思議がります。

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       家の裏にひろがる雪景色
私の住 んでいるのは、サスカチュワン州の北東部 にある人口250人のビョークデール村の近くで、家から村まで6キロありますが、その間に家は三軒あるだけです。隣の家まで1.6キロあり、私の家は道の 終わりにあるので、通り過ぎる車もありません。(この前、村の人と話をしていて、その人の家は主要道路に面しているため、一日で470台の車が通ったと か、私のところは、ここに来てから4年になるけど、全部合わせてもそんなにたくさん来てないと言ったら驚かれました。でもこれは事実です)。
この、はっきり言って地の果てのようなところに、私は、主人のグレッグと、娘の観那(かんな一歳半)、犬のチビ、約40頭の牛とともに暮らしています。な んでこんなところに来てしまったかというのも、まったくひょんないきさつからなのです。


私 は1990年、ワーキングホリ デー・ビザでカ ナダに来、1992年に主人と結婚しました。私はアボッツフォードで学校にいったり、働いたりしていたのですが、主人は仕事の都合で(うにやミル貝をとる ダイビング漁)BC州最北端のプリンスルパートとアボッツフォードとを6週間対1週間の割合で行き来していたのです。こんな生活を三年半していたのです が、これでは結婚している意味もないし、ダイビングの仕事は背中に物凄く負担がかかるし(農業の方がもっと背中に悪いことは後になって分かったことで す)、何か二人で一緒にできることをやろう!それなら農業しかない!ということで農地探しを始めたわけです。まず初めは、グレッグの家族がいるBC州で探 していたのですが、高くてとても手が出ません。ではアルバータ州へということになったのですが、それでもまだ随分高いのです。じゃあサスカチュワンへ行こ う!ということで、新聞の広告を元に農場を買い、来たこともない、知っている人のだれもいないサスカチュワンで、やったことのない(私の家族はもちろん、 グレッグの家族でも、農業をしたことのある人は一人もいないのです)農業を始めることにしたのです。

初め て土地を見にきたのは1995年の6月の 末 で、蚊がものすごく(日本の比ではない)Tシャツを頭からかぶっていたのですが、その上からもさされ、手の甲などは全体が腫れてぶくぶくになってしまいま した。それでも何故か(?)この場所が気に入って、移ることにしました。アルバイト先の日本食レストランでの馴染みのお客さんなどは、「あんなまっ平らな サスカチュワンのどこがいいの?」とか、「凍え死んでも知らないよ」とか言っていましたが、私達の土地のあるあたりは、木がまわりにたくさん生えているた め、あまり平らという感覚がないのです。(それでもここにくる途中の道路で撮った写真をBC州の友達に見せたら、空港の滑走路かと思ったと言われました が)サスカチュワンの道路に慣れてしまった私は、BC州の渋滞の中を二度と運転できないのではないかと思います。昔名古屋で、二重の縦列駐車を平気でやっ ていたと思えません。(私達がまだアボッツフォードに住んでいた頃、サスカチュワン州のプレートの車を見て田舎呼ばわりしていたことを反省します)

さ て、話が横に逸れましたが、1995年の6 月 に土地を見に来、持ち主と電話で何度かのやりとりの後、8月に移ることにしました。持ち主のサスカトゥーンの家で鍵などをもらい、書類の最終手続きを済ま せ、一路ビョークデールへ!ということになったのですが、最後の1キロくらいで道に迷ってしまい、T字路へきてどちらに曲がるのか分からなくなり、反対の 道を行ってしまったのです。あるのは畑と林だけで、人家もまったくなく、目印というものが一切ないのです。二ヶ月前に一度来たとはいうものの、こんなにな んにもないところはっきりいって覚えようがなく、(今でも人に道順を尋ねられると、説明のしようがなく、苦労します)しばらくその道をまっすぐ行ったので すが、なんとなく違うのではないかということになり、引き返すことにしました。T字路を反対方向にいくと、見覚えのあるような木を見かけ、やったー!我が 家を見つけたー!と興奮したのでした。 という ようなことで、私たちのサスカチュワンで のファーマーとしての生活は始まったのでした。


      
第 二回:パイオニア生活




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